東京は暖かくなって、桜も咲いて、春ですね。今は日本の学校や幼稚園の卒業シーズン。先日、卒業式が行われている小学校の前を通ったら、自分の卒業式の当時の気持ちがよみがえってきました。卒業ってやっぱりせつないですね。
さて、ここから本題です。
redundant: 余分な、過剰な
redundancy: 余分なもの、重複性以前、どこかでだれかに英語で "redundant" な表現は好まれないと聞いたことがあります。 それで、その時から redundancy に注意するようにしていると、日本語では redundant な表現がたくさんあることに気が付きます。日本語を勉強しながら、みなさんも気が付いていることでしょう。
いくつか例を挙げます。
- 4月から新しい会社で仕事を頑張りたいと思います。
- あの彼はやさしそうな感じだね。
- このお店が一番大好き!
- 東京にはかわいい物がいっぱいあり過ぎる。
どの部分が redundant か、わかりますね?こういう表現は日本語ではごく普通です。自然に出て来る表現ですから、間違いではありませんが、ふと立ち止まって考えると、同じことを繰り返していて、気になってしまいます。
私が特に気になるのは次の表現です。
Aさんと話したくて、Aさんの会社に電話をかけたけど、Aさんはいなかった場合。
「また あらためて、お電話します。」「また」も「あらためて」も同じ意味です。 英語にしたら、"I will call him again again."になってしまいます。
私が作った書類があまり良くなかった場合、上司は次のように言うかもしれません。
「もう一度、やり直して。」「動詞+直す」の意味は「もう一度すること」ですから、明らかに表現が重複しています。
そして、このような重複表現は話言葉に限らず、教科書の表現にも出てきます。
- テーブルの上のクッキーを全部食べてしまいました。
- この建物に入る際には身分証明書を必ず持って来るようにしてください。
- 彼の言っていることはもしかしたら間違っているかもしれない。
それぞれ、「全部」と「必ず」と「もしかしたら」を強調するための重複表現ですから、どちらかが無くても意味は変わらないのですが、セットで使われることが多いです。
どうしてこういう表現が日本語には多いのか?私は「日本語の文の構造と関係している」と考えています。例えば、上の1と2と3の文は次のように言い換えることもできます。
- 全部 テーブルの上のクッキーを食べてしまいました。
- 必ず この建物に入る際には身分証明書を持って来るようにしてください。
- もしかしたら、彼の言っていることは間違っているかもしれない。
こうなると、最初のパターンより重複部分が離れていますね。語順にこだわらない日本語の特徴から、助詞はどこにでも置くことができます。例えば、「全部」と最初に言ってしまうと、話し手も「あれ?私はもう【全部】と言ったかな?」という気持ちになって、最後に「しまいました」を付けて、「全部」を強調している。確認のために同じような表現を付け加える習慣ができたのかもしれません。
この見解が正しいか、どうかは知りませんが。。。
みなさんも気になる日本語の重複表現があったら、教えてください。
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