先日九州は長崎へ旅行に行きました。長崎へ行ったからには、見るべきものが二つあります。一つは皆さんも知っているでしょう、「原爆の資料館」。もう一つは、日本の歴史に詳しい人なら知っているかな、「出島」です。
江戸時代、日本が外国との交流を断っていたことは有名ですね。キリスト教を禁じた「禁教令」を出して、外国人宣教師を国外追放したあげく、日本は鎖国時代に突入しました。その時に長崎にある出島という場所に限って、外国人(オランダ人のみ)が来ることができました。それで、出島は「日本と外国の唯一の窓口だった」と言われています。出島はオランダ人を住ませるために造られた人工の島です。陸から出た島を造ったことから「出島」という名前になりました。しかし、そこに行ってみて初めて、現在はもう島ではないことがわかって、残念でなりませんでした。
でも、現在の出島には当時の建物が再現されていて、そこに住んでいたオランダ人たちの生活がよくわかる上に、資料もたくさん残っているので、歴史好きの私にはそこで見る物やら読む物やらすべてがおもしろかったです。
新しい発見は、オランダの船で運ばれた大量の砂糖が出島内の蔵には保存されていたことです。出島は「砂糖島」と呼ばれていただけあって、その砂糖が長崎の町に流れていたそうです。当時、日本で砂糖は高価で、めずらしい物でしたが、長崎の人たちは砂糖をたっぷり料理に使っていたそうです。西洋の学問や技術の発信はもとより、砂糖文化も長崎から始まったのですね。
翌朝は原爆資料館へ行きました。そこには1945年の爆心地(原爆が落とされたまさにその場所)の地図があって、地図の上にはそこに住んでいた家族の名前が書いてあります。それを見た時、私は一番悲しかったです。戦時中でみんな貧しく、慎ましく生きていたはずです。毎日ただただ生きていた人たちが一瞬にしていなくなってしまった。その人たちの人生は何だったのでしょうか?そこに住んでいたばかりに、死んでしまった人たちや、その後苦しみながら生きざるを得なかった人たちの悔しさを考えると、無念でたまりません。
資料館を出た後、平和への祈りを込めて、その周辺を歩きました。日曜日の朝だったので、近くの大きな教会(その教会も被爆しました)では礼拝が行われていて、中をのぞくと、たくさんの日本人が神様に祈りを捧げていました。昔々から長崎にクリスチャンは多く住んでいて、彼らはひどく迫害されました。悲惨な原爆も経験しました。静かに祈る長崎の人々を見ると、長崎の辛い歴史を感じずにはいられませんでした。東京では感じない深いものがありました。
長崎は日本の中でも独特の歴史を持つ町です。一方、坂と階段がとても多くて、地形的にもユニークです。せまい階段をたどって行くと、道に迷った気分になって、あちこちに猫がいて、旅の気分が高まる場所でもありました。
眼鏡橋(めがねばし)。めがねみたいでしょ? |
原爆の被害を受けた鳥居。 |
爆心地にある浦上天主堂。 |
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